<質問>
She is no more beautiful than her sister.
の省略部分を復元すると、
She is no more beautiful than her sister is not beautiful.
となるんですか?
<回答>
ついにこの日が来ましたね!Z社長!君はなかなか鋭い!いつか誰かがこのことに気づくだろうとは思っていたのですが、その日がこんなに早く来るとは思いませんでした。河合塾に通う予定調和型の優等生からは1度も質問されなかったので、きっと永久にバレないと思っていたのですが・・・。Z社長はきっと、納得型の秀才なのでしょう。とてもうれしく思います。さて、薮下が第3構文を説明するのに使ったこの例文、本当はこんな意味なのです。
■彼女は妹と同じくらい美しい。
She is no more beautiful than her sister.
=She is no less beautiful than her sister.
え!っと思うでしょ。だって、no moreとno lessが同じ意味だなんてどう考えても変ですよね。じゃあ、先ずここから説明しましょう。
■このカップにはあれよりも沢山の水が入っている。
This cup has more water than that one.
■このカップにはあれよりも少ない水しか入っていない。
This cup has less water than that one.
これは簡単な比較の文です。more waterとless waterなのだから、中に入っている水の量はthis cupとthat cupとでは当然違います。では、次の英語はどうでしょう。
■このカップにはあれよりも沢山の水が入っているわけではない。
This cup has no more water than that one.
■このカップにはあれよりも少ない量の水が入っているわけではない。
This cup has no less water than that one.
this cupとthat cupとを比べて、入っている水は多くもなく少なくもないわけですから、この2つは全く同じ量の水が入っていることになりますね。これをnot moreやnot lessにしても意味は全く同じです。
・This cup does not have more water than that one.
・This cup does not have less water than that one.
薮下は、説明の簡便性と分かりやすさを優先します。そのためにはウソも沢山つきます。例えば、『「引き離す」の意味を持つ「off」の「f」が時代の流れと共に脱落して「of」ができた!だから「of」の中には「引き離す」という意味が含まれる』なんていうやつもそうです。実は、これはウソなのですよ!歴史的に見ると「of」が先ずあって、それから「off」ができあがりました。でも、意味的には「off=スイッチが離れる」の方から先ず説明して、「of」につなげる方が簡単で分かりやすいでしょ!これが、薮下の言う「簡便性と分かりやすさ」です。この第3構文も「マイナス×プラス=マイナス」だから、「彼女がブスなのは、妹がブスなのと同じだ」と覚えてしまうのが簡単で便利なわけです!じゃあ、鯨の公式の本当の意味を説明しましょう。ここまで説明が進んでいれば、後は簡単です。
■鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ。
A whale is no more a fish than a horse is.
第3構文が「鯨の公式」だと言われる所以(ゆえん)の例文です。実はこれも「鯨は魚だ」というのと「馬は魚だ」と言うのは全く同じだ!と言っています。つまり「馬は魚だ」と言うと変でしょ!「鯨は魚だ」というのはそれと同じくらい変なのよ!が原義なわけです。
だからShe is no more beautiful than her sister is not beautifulには絶対になりませんよ!
・
2 Comments
さすが、Z社長は僕らが意外と気付かないところに気付きますね。僕も「そういえばそうだなぁ・・・」と思わされました。
さて、薮下先生。分詞構文を使った表現で気になったことがあるのですが・・・
①「アレンはそこにつったっていたので、先生に怒られた。」
Standing as he did there, Alen was scolded by my teacher.
②「アレンはそこに立たされていたので、クラスメートに笑われた。」
Made as he was to stand there, Alen was laughed at by his classmates.
多分このような使い方をしたと思います。
①の場合、
As he stood there,・・・
を分詞構文にする過程で、強調するために、
stood→standing
にして文頭に持ってくる。
asは接続語だから後ろにはSVがこなければなりませんから、抜けたVを動詞doで補ってやる。
という手順を踏んだ結果、
現在分詞+as S do
という文法ができたのだと思うのですが、
②で①と同じような手順を踏むと、
元々の文章は
As he was made to stand there,・・・
で、
being made as he V to stand there,・・・
となるので、beingが消えます。
でも、Vに補うべき語句はbe doneでなければなりません。
どうしてdoneが無くなってしまったのでしょうか?
アレン君、久しぶりですね。対象から一歩引いて全体を俯瞰しようとする君の視点を、すごいなあと感じてます。今回質問も面白いですね!では、asS+Vの話から始めましょう。asの意味を大きく分けると「とき」と「ように」の2つになります。だからasS+Vには「SがVするとき」と「SがVするように」の2つの意味があるわけです。
「SがVするとき」には「SがVするにつれて」や「SがVしながら」も含まれます。
・彼女はその知らせを聞きながら、泣いていた < 彼女はその知らせを聞いたとき、泣いていた。
・山を登るにつれて、だんだん空気が冷たくなった < 山を登ったとき、空気が冷たくなった。
ほらね!「とき」の範疇にすっぽり収まっちゃうでしょ。もっと面白いのは「ように」です。
・彼は若いのだが、お金がある < 彼はこのように若い。でもお金がある。
・僕は疲れていたので、タクシーに乗った < 僕はこのように疲れている。だからタクシーに乗った。
「ように(様態)」が「なので(理由)」になったり「なのだが(譲歩)」になったりしてるでしょ!こう考えると、歴史的には「ように」が先ずあって、その後で「なので」や「なのだが」が派生してきたのでしょうね。
さて、ここで使われているasS+Vは「SがVするように」の方です。
■アレンは実際にそのようにそこに突っ立っていたので、彼は先生に怒られた。
Because Alen was standing there as he did, he was scolded by his teacher.
このdidは代動詞といって、同じ動詞の繰り返しを避けたい時に使います。だから、同じ動詞を2度使えばこうなります。
Because Alen was standing there as he was standing, ~
これは、中学の時に習った一般動詞の疑問文の受け答えに出てきたdoと同じです。例の「doで尋ねたらdoで答えろ」というやつです。
・Do you want me to kiss you?キスして欲しい?
・Yes, I do.うん、キスして欲しい。=Yes, I want you to kiss me.
さて、この英文を分詞構文化すると、こうなります。
・(Being) Standing there as he did, Alen was scolded by his teacher.
ということは、アレン君が思っていた「asは接続語だから後ろにはSVがこなければなりません」までは正しいのですが、だから「抜けたVを動詞doで補ってやる」が間違っていたことになりますね。
では、質問にあった例文を見てみましょう。
■アレンは実際にそのようにそこに立たされていたので、彼はクラスの皆から笑われた。
Because Alen was made to stand there as he was, he was laughed at by his classmates.
「使役動詞の受け身の時のtoの復活」が使われてますね。さて、代動詞が使えるのは、元の文が一般動詞の場合だけで、be動詞の場合は省略で間に合わせます。つまり、be動詞までは書いて、それ以下を省略するわけです。だから元の英語はこうなります。
・Because Alen was made to stand there as he was made to stand there,~
もう分かったでしょ!つまり「補うべき語はde done」ではなかったわけです。だから「doneがなくなってしまった」分けではなかった、ということです。
世の文法書では、このasS+Vを「分詞構文の強調表現」だと説明しています。薮下のやった和訳に注目してください。「実際にそのように~なので」がその強調に当たるわけです。でも、これって強調なのでしょうかね。なぜ世間はこれを「強調」などと大げさに呼んでいるのか、ちょっと分かりません。あまり、学者の説明に翻弄されないことですよ!彼らは事実をねじ曲げて、形骸化させます。言い換えると、言葉のもつ本来の意味やダイナミズム(強さや流れ)を全部そぎ落としてしまいます。彼らがこれを「強調」と呼んだ時点で、実際にそれがどの様に強調され、それによってどんな効果が得られるのかが全く分からなくなってしまうでしょ!学者の「分類による名付け」趣味に僕らは付き合う必要はないのですよ!
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