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つたんかーめん君からの質問

<質問>
仮定法過去と仮定法過去完了は,動詞の時制から名前が来ているのに,どうして仮定法未来は,その表す意味から名前がつけられているのですか。時制も未来を使うと思ってしまったら習う方は混同すると思います。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/18-4/RitsIILCS_18.4pp.79-94Nomura.pdfには,仮定法過去として教えるべきだと書いてありますし,江川秦一郎『英文法解説』でも仮定法過去の一つだと書いてありますが,YABUさんが仮定法未来として教える理由は何ですか。
<回答>
つたんか~めん君の初投稿を心から歓迎します!それに、野村先生の『英語教育における仮定法の問題点』も楽しく読ませていただきました。簡単にまとめると、今を悔やむのが「過去形」、過去を悔やむのが「過去完了形」だから、「仮定法過去」や「仮定法過去完了」の呼称は語の形態による分類です。それに対して、「未来の内容」の実現可能性を言うのが「仮定法未来」ならば、この呼称は意味内容で分類したことになります。だから、これらの呼称には分類上混同がある、と野村先生は仰ってます。お説ごもっともだと思います。
薮下が「仮定法未来」と呼んでいるのは次の3つのパターンです。
■明日天気が良ければ、ピクニックに行きます。(希望の仮定)
If it is fine tomorrow, we will go on a picnic.
■明日万が一天気が良ければ、ピクニックに行きます。(失望の仮定)
If it should be fine tomorrow, we will [would] go on a picnic.
■仮に明日晴れるとすれば、ピクニックに行くのですが。(絶望の仮定)
If it were to be fine tomorrow, we would go on a picnic.
世間では、実現可能性の低い仮定だけを「仮定法未来」と呼びますが、薮下は実現可能性の高い仮定も「仮定法未来」の中に入れてしまっています。なぜなら、3つとも妄想には違いないわけだし、そして3つをまとめて提示すると、帰結節で使われる現実記号のwillと妄想記号のwouldの違いがとても良く分かるからです。つまり、実現可能性が少しでもあると思っている場合はwillを使って、現実時間で表しますが、逆に実現可能性が少ししかないと思っている場合はwouldを使って、妄想時間で表すわけです。例文が下へゆくほど実現可能性が低くなっているのがよく分かりますよね。薮下はこの単純な分かり易さが大切だと考えています。以前薮下はここで、「説明の簡便性と分かりやすさを優先するので、そのためには(学術的には)ウソもつきます」と宣言したのもその為です。それで子供達が「な~んだ!英語って簡単じゃん!」と思ってくれたらこっちのものですからね。
野村先生は、失望の仮定にでてくるshouldを「予言のshall」の過去形だと推察され、「仮定法未来」は形態論的には「仮定法過去」だと主張されておられますね。学究的にはとても面白い仮説だと思います。でも、薮下は学校でこのshouldを「ガックリshould」と教えます。万に一つしか実現可能性がないので、とっても「ガックリ」しているのだから「ガックリshould」だと言えば、大抵の子はそれで納得します。あ、前にここで書いたように、「ビックリshould」「当たり前だ!のshould」など、他の感情のshouldも一緒に教えます。このshouldを子供達に「予言のshallの過去形」だとか「丁寧なshouldの流用」などとと説明するとの比べると、説明の簡便性と分かり易さは「ガックリshould」の方が高いと薮下は思います。
あ、話がだいぶん横道にそれてしまいました、ごめんなさい。薮下がこれを「仮定法未来」に分類しているのには、そんなに深い理由はありません。それはとても単純で、昔からこれを学校英文法では「仮定法未来」の呼称を使って呼んでいるからです。薮下の授業で、これらの呼称は黒板では( )に入ります。つまり、板書されるときは「今を悔やむときは過去形で悔やめ!(仮定法過去)」や「昔を悔やむときはhad+過去分詞で悔やめ(仮定法過去完了)」、「希望の仮定・失望の仮定・絶望の仮定(仮定法未来)」とやるわけです。というのは、これは子供達が問題集や参考書で勉強するときのための配慮なのです。つまり、薮下が今喋っている内容が参考書や問題集ではどの項目に分類されているのかを子供達に教えてあげるのが目的なわけです。ですから、それが「仮定法未来」でも「実現可能性の低い仮定」でも何でも良いわけです。
言葉は本来、綺麗なクリスタルのボールみたいなもので、それをハンマーで粉々に叩き割って、その破片1つ1つに名前を付けて行くのが学究的英文法です。その分類法は(所詮はラテン文法の枠を英語に当てはめた間に合わせなのだから)野村先生がご指摘になった仮定法未来に限らずほとんどが矛盾だらけで煩雑です。だから、こちらからわざわざそれに合わせてあげる必要などないと薮下は考えます。だって、それをそのまま学校英文法に持ち込むのは、子供達に英語を嫌いになれと言っているようなものだと思うからです。ま、でもこれは昔英語が死ぬほど嫌いだった薮下の負け惜しみなのかも知れませんがね!

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