【講義ノート187】無生物主語(0)
薮下は以前、無生物主語構文のところで「もともと古代大和言葉にはモノ主語なんかなくて、絶対に人が主語でした。一方、英語はモノ主語が普通なわけです。現代日本語にモノ主語がこれだけ入り込んだのは、英語の影響がとても大きかったと言われています」と書きました。しばらくしてから、OKWaveという質問サイトのここに薮研が載っているということを聞きつけました。そして見てびっくりしたのは、疑問の対象となっているのは、何と薮研の上の文章じゃないですかっ!こんな具合です。
<質問>
「日本語には、物が主語の文は無かった?」
英語の無生物主語の説明サイトに「もともと古代大和言葉にはモノ主語なんかなくて」とありますが、「雨が降る」「石が転がる」といった表現も無かったのでしょうか?それともこのサイトや英語教師が「無生物主語」という言葉に騙されているのでしょうか?
<回答>
「何が彼女をそうさせたか」という形式というか発想が日本語に乏しかったあるいはほとんどなかったということです。注意を引くためのに「古代大和言葉にはモノ主語がない」という書き方をしたのかもしれませんが、不注意な書き方です。そもそもが英語などの無生物主語という呼び名が不適切です。The sun rises はモノが主語ですが無生物主語とは言いません。
なぜこの質問者は薮研に直接質問してこなかったんでしょうかね?でも、この回答者の人はとても理性的で適切な回答を返してくれてます。この人はなかなか頭の良い人だと思います。
先ず、質問者が勘違いしているのは「モノ主語」を「雨」とか「石」という物質だと考えているところです。そもそも表題の「日本語には、物が主語の文はなかった?」の発問が間違っています。薮下は「物」が主語だなんてどこにも書いてはいませんよ!無生物主語構文の文脈で「モノ主語」というとき、「モノが人に何かさせる」と言うときの「モノ」のことを指しています。決して「雨」や「石」のことを指してはいません。これは回答者の人が言っている通りです。そして、教室英語のための文法用語である「無生物主語」という呼び方が良くないのだという考えは、薮下も賛成です。文法学者は妙な文法用語をねつ造し過ぎています。ただ、「注意を引くために、古代大和言葉にはモノ主語がないという書き方をした」わけではありません。これについては多少の説明が必要でしょう。その意味では確かに「不注意な書き方」だったのかも知れませんね。
政治学者で思想史家の丸山真男氏は『歴史意識の古層』という論文の中で、古事記や日本書紀の創世神話でもっとも頻繁に使われているのが「なる」という表現であることに注目して、そんな言語が基盤となっている日本文化を「なる」の文化だと述べています。一方、ユダヤ教やキリスト教の創世神話には「つくる(する・させる)」の表現が多用されているので、欧米を「する・させる」の文化だとしてそれに対置させます。つまり、日本文化の根底にある「周りの状況が自然にそうなる」という発想は、「あるモノがその状況を生む」とか「あるモノが状況をそうさせる」という欧米の発想とは真逆なわけです。
「人は言語という牢獄につながれているので、人の考えや行動は言語によって制約を受けるものだ」という発想が丸山氏の論理の核になっているのですが、その正否をここでは問わないことにしましょう。でも、古事記や日本書紀の中には「モノが人になにかをさせる」というロジックは1つも登場しないのは事実です。そして、この時点で既に無生物主語が日本語には馴染まない文化的背景ができあがっているわけです!これが薮下の言う「古代大和言葉にはモノ主語なんかない」の意味です。
薮下は人が「あ、ミルクがこぼれた!」とか「お金がなくなった」などと言うのを聞くたびに、「何言ってるの!お前がミルクをこぼしたんでしょ!」とか「あんたが金を使ったんでしょ!」と思うのですが、でも「なる」の文化に浸ってしまっている僕ら日本人にとっては、やむを得ない発想なのですね。ま、このくらいのレベルのことなら問題はないのですが、良い製品さえ作れば売れるはずだと考えて、販売戦略などそっちのけで研究にばかり打ち込んできた日本の家電メーカが軒並み瀕死の重傷を負っているの目の当たりにすると、「なる」の文化はとっても根が深いなあと感じます。だって、「良いモノは何もしなくても自然に売れるようになる」の発想こそ、僕ら日本人の文化だもんね(でも、どうなるんだろうね?!これからの日本は)!
ともかく、何か質問があれば、直接薮研に質問してくださいね!
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This was written by
yabu. Posted on
金曜日, 8月 31, 2012, at 4:32 PM. Filed under
「ヤバイ英文法」. Bookmark the
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2 Comments
こんにちは、お久しぶりです。いつもひそかに藪下研究室で勉強させていただいています。今更ですが一つ質問させてください。
It is often said that science made great progress in the 20th century.
この英文の訳出は
「科学は20世紀に大きく進歩したとよく言われる」
ですが、無生物主語構文の訳出法、主語を副詞的に、目的語を主語として訳出するに従って訳出して
「20世紀の大きな進歩は科学によって成されたとよく言われる」
とした場合、progressの前に冠詞が存在しないためにこの訳出は成り立たないということでいいでしょうか。一つご教授ください
Mr. Shibataさん!回答が遅くなってごめんなさい。年末の駆け込みの英文和訳の仕事が入ってしまってバタバタでした。さて、ご質問の英文ですが、make progressで「進展する」という意味の自動詞が使われてますね。つまり、モノが勝手に進歩したと言ってるわけです。この様な場合はモノ主語でも「主語を副詞化して・・・」と考える必要はありません。「無生物主語」の基本は、「モノが人になにかをさせる」です。ですから、この英文は「科学は20世紀に大きく進歩したとよく言われる」で良いのです。主語がモノなら「無生物主語構文」というわけではありません。
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