未来の行為・行動のパターンは4つあり、その4つが未来の助動詞willとshallに割り当てられたところまでやりましたね。実は、この割り振り方がちょっと宗教的なのです。だって、この意味が確立した頃は、キリスト教的な世界観が支配的だったからです。
・will=意志・可能性 「神は何でもできて、人に善いことをさせようという意志・意図を持っている」
・shall=義務・運命 「人間はその神の意志・意図に従う義務を負い、そうすることを運命づけられている」
I want you to love your neighbor as yourself.
私はあなたに隣人をあなた自身の様に愛して欲しい。
You shall love your neighbor as yourself. (聖書)
あなたは隣人をあなた自身の様に愛さなければならない。
I will make him go first.
私は彼を先に行かせよう。
He shall go first.
彼が先に行くようにしよう(運命づけよう)。
I will give you this.
私は君にこれを与えよう。
You shall have this.
君がこれを手に入れるようにしよう(運命づけよう)。
上が神、下が人間なわけです。そして、大切なのは、下には神の存在が隠れていること。つまり、こういうことです。
■神はあなたが隣人をあなた自身の様のように愛するようにさせる。
You shall love your neighbor as yourself.
■神は彼が先に行くようにさせる。
He shall go first.
■神はあなたがこれを手に入れるようにさせる。
You shall have this.
ほらね、神である「私」が隠れてるでしょ!逆に、「主語の私=神」を補わないと意味がよく分からないわけです。さて、人間は結局神を殺してしまい(ニーチェ)、科学が幅をきかせるようになった。神の代わりに人間が世界の中心に居座ったわけです。だから、上が神ではなくなった。言い換えると「主語の私=人間」になったわけです。でも、この英語表現は残った!つまり、神が人に何かさせるのではなくて、人が人に何かをさせるようになったわけです。
■私は彼が先に行くようにしよう。
He shall go first.
■私はあなたがこれを手に入れるようにしよう。
You shall have this.
さらに、神が死んでしまった結果、willとshallの用法が混乱してしまった。どうなったのかというと、shallがwillやshouldに代わった(米語)。
■神は僕がその試合に勝つようにするだろう。→僕はその試合に勝つだろう。(shall→will)
I shall win the game.→I will win the game.
■神は僕が次に何をするようにさせるのか?→次に何をしたら良いですか?(shall→should)
What shall I do next?→What should I do next?
だから構文010に出てくる次の英語はshall→willでもOKなわけですね。
I will never forget your kindness as long as I live.
う~ん!何だか「基礎のキソ」じゃなくなってきちゃったね。大学で聞いた話も混じっているし、勝手な憶測も入っている。結局、キソってとっても難解だってことでしょうか?!
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