■僕はドアに向かって走った。(方向)
I ran to the door.
■春日井市は名古屋の北方に位置する。(方向)
Kasugai city is to the north of Nagoya.
■僕の知る限りでは、あいつは頭が固い。(限界)
To the best of my knowledge, he’s too conservative.
■僕は限界まで頑張った。(限界)
I pushed myself to my limit.
■格納容器内の温度は90℃まで上がった。(到達点)
The temperature in the Containmnet Vessel rose to 90℃.
■彼女はずぶ濡れだった。(到達点)
She was wet to the skin.
同じ「副詞になる」でも、前にやったのはto不定詞が文末に来て「なぜ?どうして?」「何するのが?」「その結果?」「何するために?」を表現しました。でも今回は前置詞+名詞が文頭や文末に来て「方向」「限界」「到達点」を表現しています。あ、そう言えば前にこんな絵を黒板に描いたと思います。
「小便小僧」のつもりなのですが、そう見えなかったらごめんなさい。彼が発射するオシッコは、緩やかなカーブを描いて落下します。その「小便カーブ」には、「方向」があり、上がりきったところで「限界」が来て、落っこちるところが「到達点」なわけです。前置詞のtoにも、この3つの意味があります。例文の英語もこの3つに分類されているのが分かります。
前置詞のtoは「指さすto」です。だから授業ではtoの上によく「右矢印(→)」を書いてもらってましたね。不定詞のtoもやっぱり「指さすto」と同じなんだということが前の講義で分かったはずです。言葉って本来はこのくらい単純なものなのですよ!それを、学者が分類するうちに、だんだん複雑になってきて、今の文法体系が出来上がりました。ま、「言葉を研究する」には細かな分類も必要なのでしょうが、「言葉を会得する」のにそこまでは必要ないはずですよね。今後の学校英文法の課題は、この辺りにありそうです。
4 Comments
■僕はドアに向かって走った。(方向)
I ran to the door.
toは到達なので、
ドアのところまで走った。ではないでしょうか?
toは「運動方向」も「目的地」も両方表現できます。ですから、「ドアに向かって」でも「ドアの所まで」でもどちらでもOKです。例文には文脈がありませんから、「方向」という言葉を添えて意味を限定しました。でも、「ドアの方向へ」という意味をハッキリさせたければtoward the doorと言う方が良いでしょうね。
言いたいことはわかります
ただ通例は
I walked to the bus stop.
と書いた場合
バス停まで歩いた、ではないですかね?
仰るとおりです。多分「歩く」のはとても原初的で個別的な行為なので「目的地」が1つで単純でした。でも、今の様に車や電車に皆が乗り合って「走る」場合には、目的地は人によってバラバラですから、「どこを目指して走ってゆくのか」も「どっちに向かって走ってゆくのか」も、両方とも重要な要素になったのだと思われます。
Post a Comment