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無意味という意味

コメント欄にたくさんの質問が来てるのですが、今薮下は体調を崩していて学校へ行くのもままなりません。返信は当分先になりそうです。ごめんなさい。
あ、そういえば、コメントの中に「あなたのエッセイはいつも人の悪い点を論(あげつら)っていますが、何か褒めたくなるような気持ちの良いことはないのですか」というのがありました。確かに最近のは、問題集や新聞のミスばかりで胸糞が悪くなりますよね、ごめんなさい。良いことは誰かが気づいてどこかで褒めているので、必要性をあまり感じていないというのもあるのですが、せっかくのリクエストですから、今読んでる本、住野よるの『麦本三歩の好きなもの』について書きます。
ようは気楽な無意味さも大切だと三歩は思う。無意味と大切じゃないは一緒じゃない。そして、無意味は意味の引き立て役でもない。無意味な日常があるから、意味ある日が大切に思える、とかじゃない。無意味な日々も、意味ある瞬間もどっちも大切で、それが一番いいということなんだとのんきに思う。
これ、真理ですよね。僕らは何にでも意味付けをしないと気が済まない生き物です。でも、僕らの存在には意味なんてありません。人生に意味付けしてもうまくゆきません。いつも、自分の目の前でいろんな出来事が起きますが、それに一々意味なんてつけなくても良いのです。これは禅や瞑想が説いている極意です。三歩はすごい子です。あ、著者は男の子みたいですがね。

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