車戸くんからの質問(7)
<質問>
今度のは1987年度の京都大学の下線部訳です。ちょっと長いのですが、赤本の全訳を読んでも何のことだかさっぱりわかりません。
The objections to white, as a colour, in large spots or masses in landscape, especially in a mountainous country, are insurmountable. In nature, pure white is scarcely ever found but in small objects, such as flowers: or in those which are transitory, as the clouds, foam of rivers, and snow. Therefore, an object of pure white can scarcely ever be managed with good effect in landscape painting. Five or six white houses, scattered over a valley, by their obtrusiveness, dot the surface, and divided it into triangles, or other mathematical figures, haunting the eye, and disturbing that repose which might otherwise be perfect. I have seen a single white house seriously damage the majesty of a mountain; cutting away, by a harsh separation, the whole of its base, below the point on which the house stood. Thus was the apparent size of the mountain reduced, not by the interposition of another object in a manner to call forth the imagination, which will give more than the eye loses; but what had been cut away in this case was left visible; and the mountain appeared to take its beginning, or to rise, from the line of the house, instead of its own natural base.
こうして目にハッキリ見える山の大きさは縮まっていた。それは想像力を呼び覚ますようなやり方で別の物体が介在しているためではなかった。もしそれなら、見えない部分以上のものが感じられるだろう。そうではなくて、この場合、切り取られた部分は見えたままであった。そしてその山は、本来の麓からではなく、その家がある線から始まっている、つまり、そこから山がそびえ立っているように見えたのである。
まず、「想像力を呼び覚ますようなやり方で別の物体が介在している」の意味が分かりません。それに「見えない部分以上のものが感じられる」ことなんてあるのでしょうか?さらに、白い家によって「切り取られた部分」は当然見えなくなるのに、なぜそれが「見えたまま」だったのでしょうか。
<回答>
車戸くん!前にやったour sense of ourselvesもそうですが、何が言いたいのだかわからない英文も結構出てきますよ。これは明らかに大学側の作問ミスです。この京都大学のも直訳しただけでは何が言いたいのか良く分からない悪文です。でも、話はものすごく単純で、「白い物体を山の前に描くと、山が小さく見える」ということ!薮下がこの英文を「翻訳」レベルまでかみ砕くとこうなります。
僕らには想像力がるので、山の前に何か物体を描くと、その陰に隠れて見えなくなったところには一体なにがあるのだろうと、実際にその物体が切り取った部分以上のものを想像してしまうので、山が小さく見えることもあるるだろう。でも、白い家を描き込んだ場合はそうはならない。白い家を山の前面に描き込んでしまった場合は、山の麓のラインが白い家によって切り取られてしまうので、白い家の屋根のラインがまるでその山のふもとのラインのように見えてしまう。だから、本来の山のふもとのラインからではなく、まるで家の屋根のラインから山がそびえ立っているように見えるので、山が小さく見えてしまう。
さて、赤本の訳語がおかしいのは、解説者の誤読が原因だと思われます。解説者はこう書いています。
by the interposition以下については、例えば遠くにある山の麓が近くにある木の茂みで見えなくなっている、と言う状況を考えてみよう。つまり、麓が隠れているので想像力が刺激され、実際よりも山が大きく見える(麓がどこまでも続いているように感じられる)ということを言っている。
ちょっと待ってください!この英語の文脈は、「山が小さく見えるのはAではなくてBのためだ」といっているのだから、AもBも両方とも山が小さく見える理由になっていないといけない。だから「想像力が刺激されて実際よりも山が大きく見える」なんてことが書いてあるはずがないのです。解説者の言うとおりなら「もしそれなら、見えない部分以上のものが感じられる」は「見えない麓の部分がもっと下の方にあって、山が実際よりも大きく感じられる」の意味になり、これでは論理破綻してしまいます。
そうじゃなくて、実際よりも山が小さく見えるためには、山の前に描かれた物体が山を切り取る面積が、実際よりも大きく感じられるからです。それは想像力がかき立てられて、物体によって切り取られて見えない部分に、実際よりももっとたくさんの物があると想像してしまうからだ、とならないといけません。さらに解説者はこうも言います。
which以下は関係詞節の継続用法で、先行詞はthe interposition~the imaginationまで。willは推量を表しているが、時制の一致を受けていないのは、補足的に述べた部分で、その時点で判断しているからと考えられる。
関係代名詞whichの先行詞は別にthe imaginationだと考えても問題はありません。それよりも、「もしそれなら」で文をつなげているのが気になります。これは単純に、becauseで結べば良い。だって、「非制限用法の関係代名詞は、一度そこで文を終わらせて、それをand、but、becauseでつないで、先行詞を代名詞化したものを主語にして2つ目の文を始めろ」ですからね。and、but、because以外の複雑な意味の接続詞が省略されちゃいけない!それに、willは「その時点の判断」ではなくて「一般的な真理・真実」じゃないとおかしい。つまり、「想像力というものはいつもそんな風に働くんだよ」と言っているわけです。もしこれがその時の状況を検証した様な文章ならば「その時点の判断」の可能性もありますが、これは芸術論ですからね。これらはすべて解説者の間違った解釈が原因で、英文全体をそれに合わせるためにねじ曲げた結果です。以上のことを考えると、正解はこうなります。
⊿このようなわけで、(白い家を描くことで)その山の見た目の大きさは(実際よりも)小さくなってしまった。それは山の前に別のものを描くことで想像力が刺激されたからではない。というのは、想像力が働くと、僕らは実際にその物体が切り取った(面積)よりももっとたくさんの物を想像してしまうからだ。
あ、the apparent size of the mountainも「はっきり見える山の大きさ」は誤訳です。さっきから言っているように、「実際の山の大きさ」と「見た目に感じられる大きさ」とを対比しているわけですからね。長くなったので、今日はここまでにします。
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