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聖賢の書を空しく読むのみならば、譬えば人の剣術を傍観するも同じ

これは西郷さんが書いた『南州翁遺訓』の36番目の訓戒です。聖人や賢人が書いたものを単なる知識として読むことは、人が剣術をするのを傍観しているのと同じで何も身につかないと言っています。聖人や賢人の行いの底にある知恵を感得することで初めてその言葉が身につくと言ってます。
これと同じで、単語や熟語、文法や構文を知識として暗記しただけでは、著者の言いたいことを把握できません。ま、知識も必要なのですが、レトリックが分かっていなければ著者の主張は掴めず、入試問題も解けません。確認テストや定期テストの勉強をいくらやっても難関大学に合格できないのはそういうわけです。センターテストから共通テストに移行する際に、大学入試センターの作問委員が考えたのが「事実と意見の区別」、昨年から代わった早大の作問委員が考えたのが「具体的記述の抽象化」です。ま、早大の設問を使ってゆっくり説明してあげます。

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