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アレン君からの質問

<質問>
さすが、Z社長は僕らが意外と気付かないところに気付きますね。僕も「そういえばそうだなぁ・・・」と思わされました。さて、薮下先生。分詞構文を使った表現で気になったことがあるのですが・・・
①「アレンはそこにつったっていたので、先生に怒られた。」
Standing as he did there, Allen was scolded by his teacher.
②「アレンはそこに立たされていたので、クラスメートに笑われた。」
Made as he was to stand there, Allen was laughed at by his classmates.
多分このような使い方をしたと思います。
①の場合、
As he stood there,・・・
を分詞構文にする過程で、強調するために、
stood→standing
にして文頭に持ってくる。
asは接続語だから後ろにはSVがこなければなりませんから、抜けたVを動詞doで補ってやる、という手順を踏んだ結果、「現在分詞+as S do」という英文ができたのだと思うのですが、
②で①と同じような手順を踏むと、
元々の文章は
As he was made to stand there,・・・
で、
being made as he V to stand there,・・・
となるので、beingが消えます。
でも、Vに補うべき語句はbe doneでなければなりません。どうしてdoneが無くなってしまったのでしょうか?

<回答>
アレン君、久しぶりですね。対象から一歩引いて全体を俯瞰しようとする君の視点を、すごいなあと感じてます。今回の質問も面白いですね!では、as S+Vの話から始めましょう。asの意味を大きく分けると「とき」と「ように」の2つになります。だからas S+Vには「SがVするとき」と「SがVするように」の2つの意味があるわけです。
「SがVするとき」には「SがVするにつれて」や「SがVしながら」も含まれます。
・彼女はその知らせをきながら、泣いていた < 彼女はその知らせを聞いたとき、泣いていた。
・山を登るにつれて、だんだん空気が冷たくなった < 山を登ったとき、空気が冷たくなった。
ほらね!「とき」の範疇にすっぽり収まっちゃうでしょ。でも、もっと面白いのは「ように」です。
・彼は若いのだが、お金がある < 彼このように若い。でもお金がある。
・僕は疲れていたので、タクシーに乗った < 僕このように疲れていた。だからタクシーに乗った。
「ように(様態)」が「なので(理由)」になったり「なのだが(譲歩)」になったりしてるでしょ!こう考えると、歴史的には「ように」が先ずあって、その後で「なので」や「なのだが」が派生してきたのでしょうね。
さて、ここで使われているas S+Vは「SがVするように」の方です
■アレンは実際にそのようにそこに突っ立っていたので、彼は先生に怒られた。
Because Allen stood there as he did, he was scolded by his teacher.
このdidは代動詞といって、同じ動詞の繰り返しを避けたい時に使います。だから、同じ動詞を2度使えばこうなります。
Because Allen stood there as he stood, ~
これは、中学の時に習った一般動詞の疑問文の受け答えに出てきたdoと同じです。例の「doで尋ねたらdoで答えろ」というやつです。
・Do you want me to kiss you?キスして欲しい?
・Yes, I do.うん、キスして欲しい。=Yes, I want you to kiss me.
さて、この英文を分詞構文化すると、こうなります。
・Standing there as he did, Allen was scolded by his teacher.
ということは、アレン君が思っていた「asは接続語だから後ろにはSVがこなければなりません」までは正しいのですが、だから「抜けたVを動詞doで補ってやる」が間違っていたことになりますね。
では、質問にあった例文を見てみましょう。
■アレンは実際にそのようにそこに立たされていたので、彼はクラスの皆から笑われた。
Because Allen was made to stand there as he was, he was laughed at by his classmates.
「使役動詞、受け身の時のtoの復活」が使われてますね。さて、代動詞が使えるのは、元の文が一般動詞の場合だけで、be動詞の場合は省略で間に合わせます。つまり、be動詞までは書いて、それ以下を省略するわけです。だから元の英語はこうなります。
・Because Allen was made to stand there as he was made to stand there,~
もう分かったでしょ!つまり「補うべき語はbe done」ではなかったわけです。だから「doneがなくなってしまった」分けではなかった、ということです。
世の文法書では、このas S+Vを「分詞構文の強調表現」だと説明しています。薮下のやった和訳に注目してください。「実際にそのように~」がその強調に当たるわけです。でも、これって強調なのでしょうかね。なぜ世間はこれを「強調」などと大げさに呼んでいるのか、ちょっと分かりません。あまり、学者の説明に翻弄されないことですよ!彼らは事実をねじ曲げて、形骸化させます。言い換えると、言葉のもつ本来の意味やダイナミズム(強さや流れ)を全部そぎ落としてしまいます。彼らがこれを「強調」と呼んだ時点で、実際にそれがどの様に強調され、それによってどんな効果が得られるのかが全く分からなくなってしまうでしょ!学者の分類趣味に僕らは付き合う必要はないのですよ!

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